石器(せっき)や土器(どき)を使って生活していたころから,人びとは水をさがし,川のほとりやわき水のあるところに集まって生活していました。
水戸市の那珂(なか)川の両岸(りょうぎし)にも早くから人が住んでいました。
藤井(ふじい)町の十万(じゅうまん)原(ぱら)や田谷(たや)町などには,1万年以(い)上も前から人が住んでいたあとが見つかっています。
また,愛宕(あたご)町にある「曝(さらし)井(い)」のあたりでは,きれいな水がわき出ていました。そのようすは,万葉集(まんようしゅう)(奈良(なら)時代に作られた,日本で一番古い歌集)にもうたわれています。
曝(さらし)井(い)の歌「万葉集」巻(かん)9
(那賀郡(なかぐん)の曝(さらし)井(い)の歌(うた)一首(いっしゅ))
三(みつ)栗(くり)の那賀(なか)に向(むか)へる曝(さらし)井(い)の
絶(た)えず通(かよ)はむ 彼所(そこ)に妻(つま)がも
高橋連(たかはしむらじ)虫(むし)麻呂(まろ)
意味:那賀の村のすぐ向かいにある曝井の水,その水がたえ間なくわくように,ひっきりなしに通いたい。そこにつまがいてくれたらよいのに。