4 近代水道へ

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水戸の水道は,水戸市が大きくなるにつれて,より便利(べんり)できぼの大きいものへと発達(はったつ)していきます。


〇 新しい水道のたん生(じょう)

 水戸の町に人や家がだんだんとふえてくると,いど水がよごれたりかれたりする家が多くなりました。このため,伝染病(でんせんびょう)や火事の発生が多くなってきたので,市は水道を作ることにしました。

 大正13年(1924年)からいろいろな調査をかさね,昭和7年(1932年)7月に新しい水道が完成(かんせい)しました。これは,渡里(わたり)村(今の渡里町)の那珂(なか)川中州(なかす)から,ふく流(りゅう)水(地面にしみこんだ水)を取り,じょう水場でろかし,消(しょう)どくするもので,新しい水道の始まりでした。

 これにより,市内の家庭で水道が使えるようになったのです。


ふく流水を使った水道
※今はこの方法は使われていません


〇 水道の発達

 長かった戦争(せんそう)が終わると人々の生活はじょじょに安定し,くらしも便利になってきました。水道を利用する人がふえ,また,ひとりひとりの使う水の量(りょう)も多くなってきたので,水道の水が間に合わなくなりました。

 そのうえ,水戸市は近くの村と合(がっ)ぺいしてだんだんと大きくなり,ますます水道のしせつは不足してきました。

 そのため,昭和27年(1952年)から水道を広げる工事を行い,水戸市の水道を利用する人が30万人になっても間に合うように,しせつをふやしました。


水戸市のひろがり