はじめに

 水戸を訪ねる人は、偕楽園と弘道館を忘れない。

人々の憩いの場という意味を込めて造られた偕楽園、その園内高台に建つ名亭好文亭からは千波湖全景が眺望されます。一方、白壁に囲まれ端正な造りの弘道館、敷地内には弘道館記の碑文を蔵した八卦堂が昔ながらのたたずまいを見せています。いずれも、四季折々の風情を私たちに楽しませてくれますが、水戸の人々にとって、忘れてならないのが、水戸二代藩主徳川光圀により創設された笠原水道の存在です。

わが国の水道の歴史は古く、灌漑を兼用する水道は、戦国時代の小田原城主大森氏によって竣工された小田原早川上水(一五四五年)が最初だと伝えられています。また、一般の飲用を主とする水道の完成は、江戸の神田上水(一五九〇年)に端を発し、近江八幡水道(一六〇七年)、赤穂水道(一六一六年)、中津水道(一六二〇年)と続き、水戸の笠原水道(一六六三年)の完成は年代順によれば、わが国で十八番目に当たります。この時期、同様な施設が福山、名古屋、鹿児島、高松、福島などでも築造されましたが、これらの水道の建設は、当時としては大工事であり、このため莫大な資金と最高の技術の推進によって完成をみた一大事業でありました。

現在でも、笠原水道の水源地には、光圀の恩徳を後世に伝えるため浴徳泉の碑が建っています。郷土愛は、歴史を正しく学ぶところから育つものであり、新しいものを創り出すためには、先人が成し遂げた遺産を正しく受けとめて学ぶことから始まるのではないかと思います。今後の水道行政を円滑に推進していくためにも、先人が蓄積した努力の足跡を改めて振り返ることは意義深いものであり、誠に価値あることと信じる次第であります。

平成十年一月 水戸市水道事業管理者 緑川 丈夫