家康の決断

5 ~ 6

従って、家康は小田原落城のわずか六日後に、自分が近く赴任すべき江戸の都市計画の大構想をたて、水道の敷設まで考えていたことになる。また家康が江戸に入府したのは天正十八年八月一日となっているから、この計画はすべて自分が直接現地を見る二十日前に立てたことになる。恐らく家臣の事前調査の報告を基礎として判断を下したものであろう。ここで注目すべきは、家康の決断の早さと実行の果断さであり、給水をまず考えた進歩性である。