知恵と技術を尽した暗渠上水道

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江戸時代初期、城下町の建設とともに上水道が全国各地で創設されており、創設の順番でいえば、笠原水道は日本で十八番目の上水道になる。しかし、各地のものが明渠(めいきょ)(地上水路)だったのに対し、笠原水道は導水樋を地下に埋めた暗渠であったことを特色としており、その技術の高さは群を抜いていたという。暗渠にしたのは、笠原水道以前に吉田村の溜池から明渠で導水して失敗しており、その反省から、汚水の侵入を防ぐことを第一と考えたため、とみられる。

導水樋を埋設した用地は幅六尺(一・八メートル)以上あり、町なかでは道路の下を通した。主に岩(いわ)樋(ひ)を用い、各所に岩や木の溜(ため)桝(ます)を設け、ここから土管または木樋を支管として分水し、まれには竹樋も使っている。樋や溜桝の材料にした岩は、神崎岩と呼ばれる凝灰岩で、神崎寺(水戸市天王町)がある辺りからのちに偕楽園が造られる辺りの台地のがけ下に露出していたものを切り出して用いた。岩樋っを形づくる一枚の岩は場所によって大きさが異なるが、厚さ十センチメートル前後の平岩を使用。この平岩を組み立ててつくった岩樋は、太いところでは断面内法(うちのり)が、およそ二十七×三十三センチメートルとなっている。

岩樋の継ぎ方はよく工夫され、水漏れを少なくするために接続面に凹凸をつけて、うまくかみ合うようにし、さらに目地に粘土を粘土を張るなどしている。備前堀には銅樋を渡しているがこれは角樋で、それを板で囲い、さらに堀の中に八本ずつ二列の脚柱を立てて支えとし、屋根までつけたという。


岩樋


竹樋


木樋