いずれにしても、水戸藩の笠原水道創設は、平賀保秀、永田勘衛門といった優秀な技術者に負うところが大きい、といえよう。永田勘衛門も平賀同様、藩外から取り立てられた人物である。甲斐(かい)の国(くに)(山梨県)の出身で、父の茂衛門とともに頼房の時代に水戸藩に迎えられた。彼らの才を見抜き、藩政に役立てた望月恒隆も、水戸藩立藩の時からの臣ではあるが、甲斐国出身であり、知恵分別第一の人といわれ、重用されている。このように水戸藩で領外出身者が活躍したことについて、江原忠昭氏は次のように解説する。
「水戸藩は江戸時代になって新規成立した藩であり、各地から人材を集める必要があった。光圀の時代になっても身分・出身にこだわらず全国からさまざまな分野で優秀な人材を集めている。その中で注目されるのは土木技術で、水戸藩の前に常陸地方を支配した佐竹氏の時代に農村における勧農の土木事業がほとんど行われず、水戸藩の時代に盛んになったため、人材が全国から集められた。また、天文学や数学にたけた者が迎えられたのは笠原水道創設の際も大きくものをいった測量学に通じるからで、測量学は検地に不可欠なものであった」
