水戸の近代水道

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[創設水道]

 水戸市における近代水道の創設は、大正十四年全市水道調査臨時委員会を設け、那珂川沿岸数か所の地質等について調査した結果、渡里村(現在の渡里町)地先那珂川の中州から伏流水を取水することに定めたことに始まります。

 そして、昭和五年十一月起工し、綬速ろ過法による芦山浄水場の建設と高区配水塔及び低区配水塔を築造し、水戸市全域を給水区域として昭和七年竣工しました。


那珂川中州水源工事

 また、芦山浄水場(創設当時浄水能力一万三千二百m3)と高区配水塔(鋼鉄製)及び低区配水塔(鉄筋コンクリート造り)は意匠的にも優れ、昭和六十年「近代水道百選」に選ばれました。


芦山浄水場

[第一期拡張事業]

 昭和二十七年水道創設以来二十年を経過し、この間隣接村の合併、衛生施設の改善等により給水量が増加し、創設時の規模では対応できなくなり第一期拡張事業を計画、五か年継続事業で芦山浄水場の増設工事を進めた。

 しかし、給水量が計画を上回る状態となったので、当初の計画を変更し、九か年継続事業で芦山浄水場上流に取水塔の築造と高速沈澱及び急速ろ過方式による枝内浄水場を建設し、昭和三十五年竣工しました。


枝内取水塔工事

 [第二期拡張事業]

 給水区域の拡大及び下水道事業の推進による生活環境等の改善に伴う、水需要の増大に対処するため第二期拡張事業を計画し、昭和三十七年度から五か年継続事業で枝内浄水場の浄水送水施設の増強、給水区域の拡大に伴う配水管の敷設(ふせつ)を実施し、昭和四十一年竣工した。

 [第三期拡張事業]

 その後、首都圏整備法に基づく都市開発区域の指定、都市計画事業、産業文化の向上等による給水量の増高と市街隣接地の都市化に伴う給水区域の拡充、将来の水需要に対処するため、昭和四十一年度から十か年継続事業で第三期拡張事業を計画、枝内取水場及び高速沈澱及び急速ろ過方式による開江浄水場を建設し、昭和五十一年竣工しました。


枝内取水口及び取水塔


開江浄水場

 [第四期拡張事業]

 市勢の発展と市民生活環境の改善等により、水の需要は年々増加の一途をたどり、昭和四十八年度の夏期における一日最大配水量が第三期拡張事業の施設能力である八万m3に迫る状況となり、これに対応するため、昭和四十九年度から昭和五十四年度までの継続事業により、開江浄水場の浄水、送水、配水施設の拡充を図り、昭和五十五年竣工しました。

 [第五期拡張事業]

 産業、経済の進展、生活様式の近代化、下水道の整備等による水需要量の増加に対応するため、昭和五十五年度から六か年継続事業により、水道専用の楮川ダムと楮川浄水場を建設し、昭和六十一年完成しました。


楮川ダムと楮川浄水場

 [第五期拡張事業変更]

 生産施設の充実、安定化を図り、信頼性の向上と確保に努めるため、施設経年化による生産能力の低下、維持管理の困難化及び生産原価の高騰してきている芦山、枝内浄水場を廃止し、楮川浄水場に代替施設を建設し、平成五年竣工しました。

 [常澄村との合併]

 平成四年三月三日東茨城郡常澄村との合併により、その区域が水戸市に編入され、同村が経営していた上水道事業は、水道料金その他の給水条件を水戸市の制度に統一し引き継ぎました。


常澄浄水場

[施設整備事業]

 水道施設の合理的運用と、安定給水の確保を図るため、水戸地区水道事業に常澄地区水道事業を統合し、水戸市水道事業と改称し、給水区域を水戸市全域とし、施設整備事業を平成七年度から平成九年度までの三か年継続事業で施行し、高普及時代に即したより一層の給水サービスの質的向上と適切な施設管理を行いつつ、市民生活と市勢発展の基盤を確保するものであります。


楮川第二配水場

《施設整備事業概要》

 認可年月日  平成7年3月31日

 竣工年月日  平成10年3月

 目標年次  平成15年度

 計画給水人口  300,000人

 計画1日最大給水量  158,000m3

 配水池築造(楮川) 平成7~9年度 概算事業費 871,543,000円

 接合井(常澄) 平成7~8年度 概算事業費  74,356,000円

 水戸・常澄地区配水管布設  平成7年~9度 概算事業費 205,716,000円


高区配水塔(昭和7年)有効容量757m3


低区配水塔(昭和7年)有効容量358m3


開江配水タンク(昭和45年)有効容量5,300m3×4池


千波配水場(昭和53年)有効容量10,000m3


国田配水場(昭和54年)有効容量1,500m3


常澄配水タンク(昭和61年)有効容量2,500m3


楮川第一配水場(昭和61年)有効容量14,400m3


楮川第二配水場(平成9年)有効容量12,000m3