解題・説明
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③木星会は明治三十七年 いはらき』主筆佐藤秋蘋をはじめ文芸欄の関係者数人と文化担当記者の東白蘋らが結成した文芸運動団体。佐藤の死、東の退社で明治四十年代に一時活動を中断したが、大正に入り、横瀬夜雨が文芸歌欄「木星」の選者になって復活し、大正七年一月六日の木星記念会でピークを迎えた。写真は夜雨(中央に低く見える)への謝恩会だったが、当時ステパノ教会の牧師として水戸に来ていた山村暮鳥(中列左端)のほか、野口雨情(中列左から三人目)や『いはらき』主筆の本多五陵らも出席している。木星会は明治・大正期の県下唯一の文芸団体として、本県の文学界に大きな影響を与えた。
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