[表] |
消印時間不明 |
赤坂区青山南町 六ノ一〇八 小宮豊隆様 本郷曙町十三 寺田寅彦 |
[裏] |
「戸山ケ原」はいつか青山の墓地で君から聞いて居たが、一寸面白かつた。僕の子供も矢張り同じやうな処がある、恐らく都会の子供はみんなあゝなんだらう。あゝいふのを少し連発しませんか」 僕の日記はだれて来ていやになつたが、やり出したからゼノア迄乗りつける積りです、どうぞ辛抱して読んでくれ玉へ。巻頭の木螺(ぼくら)(蝸は間違)先生も段々臭味が自分〔に〕も鼻にもついて来るから少し休まうと思つて居ます。」 中央美術の人が来て帝展評を書かぬかと云つたがとても見に行かれないと思ふつ(ママ)たから断る積であつた 「帝展を見ざるの記」なら書けるかも知れんと云つた言葉尻をつかまへられて何かしら書く事にしました。其時来た山路といふ人が僕の勤め先を慶応だと思って居たらしいので、ハヽア此れは小宮君の暗示、或はレコンメンデーション。乃至インスチゲーションで来たんだなといふやうな疑が起つたがしかし何も聞いては見なかつた。此のアーヌングは外れましたか」 バーベリオンは面白かつた、それで同人著「失意者の日記」といふのを又注文しておきました。 十月七日 |