四月二十九日(金)

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[表]
消印30日午前9時-10時
赤坂区青山南町
六ノ一〇八
 小宮豊隆様
     本郷区曙町
     十三
        寺田寅彦


[裏]
 今日は御来駕難有拝謝致し候、例により甚だ失礼御寛容を祈候」 いつも君が帰つた後で何だか寂寞を感じるのだが今日もあとで穏な空を仰いで行春の夕といつたやうな心持がした。君が十六世紀を提げて帰るかと思つて居たら、クリチークをしたゞけで御持帰りにならなかつたものだから一寸淡い哀愁を感じたのかも知れない。恋人に愛想をつかされたといふ程ではなくても、自分の子供が中学の入学試験に不合格であつた位の程度の失望を感じた」 奈良の鹿はあれは中〻面白い、あの形態から色彩に至る迄中〻凡庸でない。此れからヒントを得てエキスプレッシヨニスチックな人物でも一つかいて見やうかと考へながら眺めて居る処です。」 かういふいゝ時候いゝ天気にくすぶりかへつて居て、そしてカンヴァスの触感などを味つて居るやうでは実に困つたものだと思ひますが、此れ等が所謂前世の因果かも知れません」 此れに懲りず其内に御来光を祈ります
    四月廿九日夜