M1面の分布形態は飯岳地塊列を挟み、その南北で異なる。北部では海成段丘、南部では扇状地として形成されたような形態を示す。
北部のM1面はごく山麓部を除き非常に平坦な段丘面で、海抜一六~三〇メートルの高度に発達する。段丘面高度は苅田町谷で二二・五メートル、徳永で二六・五メートル、延永で二七・八メートル、鳥井原で二七・四メートル、勝山町黒田で三〇メートル、稗田で三〇・九メートルを示し北から南へわずかに高度を上げる。また、苅田町片島では、一六メートルの高度で、M1面は山麓から海方へ向かって緩く傾く。
堆積物は、谷では下部三メートルが赤色化(2.5YR5/8)した花崗岩質砂・シルト層であり、海岸付近の堆積物を思わせる。その上部は火山灰層で、下位から五センチメートル厚のラピリ、一〇~二〇センチメートル厚の白色軽石質粘土、五〇センチメートル厚の球殼体集積部、一五〇センチメートル厚の暗橙褐色軽石質火山灰、二〇センチメートル厚の腐植土となっている。この火山灰層は八女粘土層や宇部火山灰層の特徴と同じで、恐らくWatanabe(一九七八)の阿蘇4火砕流のうちの八女軽石流と鳥栖オレンジ軽石流に対比されよう。延永では基盤の風化花崗岩上にのる二~六センチメートルの厚さの砂礫層がみられる。稗田でも同様の砂礫層がある。いずれも礫は直径二~三センチメートルの分級のよい変成岩や石英の礫で、変成岩礫はクサリ礫化している。また赤色化も著しく、2.5YR4/8~10R4/8を示す。これらの砂礫層は全体として海岸付近で堆積したもののようである。
南部のM1面は祓川右岸の豊津町綾野付近から北東方向に稲童まで広がる開析扇状地面で、高度六〇メートルから一二メートルまで〇・四一度で傾き下がる。高位扇状地面のH2面に比べると緩やかである。
行橋平野南部のM1面についても、次節の豊津町の地形で詳述する。