第10図 豊津と福岡の気温分布比較
i 平均気温
この地点での年平均気温は、昭和二十六年から平成五年まで、一四・六℃から一六・二℃の範囲内で変化している(第11図)。
第11図 豊津の昭和26年~平成6年8月の平均気温の推移
この期間で最も低い年平均気温は、昭和五十五年の一四・六℃であり、昭和三十七年の一四・七℃がこれに続く。この気温の低さは、主として夏季の低温に起因している。七月の平均気温は二六・四℃であるが、昭和五十五年のそれは二四・三℃、昭和三十七年は二四・九℃であり、八月の平均気温は二七・二℃であるのに、昭和五十五年は二四・九℃、昭和三十七年は二六・九℃である。昭和五十五年の九月は〇・九℃、十月も〇・四℃、それぞれ平均に比べて低い。十一月にようやく平均気温と同じになる。冬季の気温も平均的に低いが、特に昭和五十五年の低い年平均気温は、主として夏季の低温に起因したものといえる。また、平成五年は、特に夏の低温で特徴づけられ、七月の平均気温は二四・三℃、八月のそれは二四・四℃である。このうち八月の気温は昭和二十六年以降で最も低いものである。平成五年の冷夏については後述する。
一方、年平均気温が高いのは昭和三十四年と平成二年の一六・二℃である。このいずれも極端に高い気温の月はみられず、年間を通して平均より高い気温が続いた。
一年のうちで最も高い気温は八月であり、平均気温は二七・二℃である。八月の平均気温が最も高かったのは昭和五十九年の二九・九℃である。これ以外は極端に高い気温はみられない。昭和五十九年は一~三月が平均をかなり下回る気温であったが、夏季に高い気温であったため、年平均気温は平年値とほぼ同じになっている。平成六年の夏は七月の平均気温が二九・〇℃、八月の平均気温が二八・四℃となり、日本の各地で記録的な暑さとなった。この暑い夏についても後述する。
ii 最高・最低気温
最高気温の月平均値で最も高かったのは昭和四十二年八月の三三・八℃である。このときの極値は八月二十四日の三五・五℃であり、必ずしも極端に高い気温ではない。最高気温の極値は昭和五十八年八月四日の三八・〇℃であり、この年の最高気温の月平均は三二・七℃である(第12図)。昭和五十五年の夏は低い気温で特徴づけられるが、最高気温の月平均値も七月が二八・〇℃、八月が二七・九℃で、昭和二十六年から平成四年までの期間で最も低い値である。これについては福岡管区気象台(一九九〇)の報告があるので、次項に記す。しかし、平成五年の七月は二七・一℃、八月は二七・五℃で、昭和五十五年のそれらより低い気温を記録している。
第12図 豊津の昭和26年~平成6年8月の最高気温の推移
最低気温の月平均値が最も低いのは、冬季であるのは当然であるが、昭和四十五年と昭和五十六年の一月の月平均値がマイナス一・五℃、昭和四十三年二月がマイナス一・七℃である(第13図)。昭和二十六年から平成四年までの期間の最低気温の極値は、昭和五十二年二月十九日のマイナス八・六℃である。昭和五十二年は寒冬を記録したが、これについても福岡管区気象台(一九九〇)の報告を次に記す。それに続き昭和五十八年二月十四日のマイナス七・三℃、昭和五十五年一月十九日のマイナス六・六℃、昭和四十二年一月十八日、昭和五十六年一月二十三日、昭和五十九年二月十日のマイナス六・五℃である。最低気温の月平均値の年平均は一〇~一一℃であるが、一〇℃を下回ったのは昭和三十七年の九・六℃、昭和五十五年の九・九℃の二回だけである。
第13図 豊津の昭和26年~平成6年8月の最低気温の推移
このように、年平均気温の低さは、夏季の気温の低さが最も大きな原因をなしているが、冬季の気温も同様に低く、その際、最高・最低の平均気温がともに低いことで、全体として平均気温が低くなることが分かる。