ビューア該当ページ

(2) 豊津町の気温分布

33 ~ 37 / 1391ページ
 豊津町には、定常的な気象観測の資料はないので、ここでは行橋市南部の豊津町との境界付近に位置する福岡県農業総合試験場豊前分場の資料を使う。この資料は、福岡管区気象台が発表する行橋市の数値と少し異なっているが、昭和二十六年から平成六年八月までの連続的なデータが得られることから、これを豊津町の気象データとして利用する。平成六年版の『理科年表』による福岡の気温の平年値と豊津の昭和二十六年から平成五年までの気温の平均値を比較すると、豊津の方がすべての月で低く、やや内陸の要素が強く表れているといえる(第10図)。

第10図 豊津と福岡の気温分布比較

 i 平均気温
 この地点での年平均気温は、昭和二十六年から平成五年まで、一四・六℃から一六・二℃の範囲内で変化している(第11図)。

第11図 豊津の昭和26年~平成6年8月の平均気温の推移

この期間で最も低い年平均気温は、昭和五十五年の一四・六℃であり、昭和三十七年の一四・七℃がこれに続く。この気温の低さは、主として夏季の低温に起因している。七月の平均気温は二六・四℃であるが、昭和五十五年のそれは二四・三℃、昭和三十七年は二四・九℃であり、八月の平均気温は二七・二℃であるのに、昭和五十五年は二四・九℃、昭和三十七年は二六・九℃である。昭和五十五年の九月は〇・九℃、十月も〇・四℃、それぞれ平均に比べて低い。十一月にようやく平均気温と同じになる。冬季の気温も平均的に低いが、特に昭和五十五年の低い年平均気温は、主として夏季の低温に起因したものといえる。また、平成五年は、特に夏の低温で特徴づけられ、七月の平均気温は二四・三℃、八月のそれは二四・四℃である。このうち八月の気温は昭和二十六年以降で最も低いものである。平成五年の冷夏については後述する。
 一方、年平均気温が高いのは昭和三十四年と平成二年の一六・二℃である。このいずれも極端に高い気温の月はみられず、年間を通して平均より高い気温が続いた。
 一年のうちで最も高い気温は八月であり、平均気温は二七・二℃である。八月の平均気温が最も高かったのは昭和五十九年の二九・九℃である。これ以外は極端に高い気温はみられない。昭和五十九年は一~三月が平均をかなり下回る気温であったが、夏季に高い気温であったため、年平均気温は平年値とほぼ同じになっている。平成六年の夏は七月の平均気温が二九・〇℃、八月の平均気温が二八・四℃となり、日本の各地で記録的な暑さとなった。この暑い夏についても後述する。
 
 ii 最高・最低気温
 最高気温の月平均値で最も高かったのは昭和四十二年八月の三三・八℃である。このときの極値は八月二十四日の三五・五℃であり、必ずしも極端に高い気温ではない。最高気温の極値は昭和五十八年八月四日の三八・〇℃であり、この年の最高気温の月平均は三二・七℃である(第12図)。昭和五十五年の夏は低い気温で特徴づけられるが、最高気温の月平均値も七月が二八・〇℃、八月が二七・九℃で、昭和二十六年から平成四年までの期間で最も低い値である。これについては福岡管区気象台(一九九〇)の報告があるので、次項に記す。しかし、平成五年の七月は二七・一℃、八月は二七・五℃で、昭和五十五年のそれらより低い気温を記録している。

第12図 豊津の昭和26年~平成6年8月の最高気温の推移

 最低気温の月平均値が最も低いのは、冬季であるのは当然であるが、昭和四十五年と昭和五十六年の一月の月平均値がマイナス一・五℃、昭和四十三年二月がマイナス一・七℃である(第13図)。昭和二十六年から平成四年までの期間の最低気温の極値は、昭和五十二年二月十九日のマイナス八・六℃である。昭和五十二年は寒冬を記録したが、これについても福岡管区気象台(一九九〇)の報告を次に記す。それに続き昭和五十八年二月十四日のマイナス七・三℃、昭和五十五年一月十九日のマイナス六・六℃、昭和四十二年一月十八日、昭和五十六年一月二十三日、昭和五十九年二月十日のマイナス六・五℃である。最低気温の月平均値の年平均は一〇~一一℃であるが、一〇℃を下回ったのは昭和三十七年の九・六℃、昭和五十五年の九・九℃の二回だけである。

第13図 豊津の昭和26年~平成6年8月の最低気温の推移

 このように、年平均気温の低さは、夏季の気温の低さが最も大きな原因をなしているが、冬季の気温も同様に低く、その際、最高・最低の平均気温がともに低いことで、全体として平均気温が低くなることが分かる。