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(3) 福岡県の昭和五十二年の寒冬と昭和五十五年の冷夏

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 i 福岡県の昭和五十二年の寒冬
 福岡管区気象台(一九九〇)は、昭和五十二年の寒冬について、次のように記している。
 「一九七七年(昭和五十二年)は前年の年末から二月下旬初めまで、強い冬型の気圧配置がつづき、九州全域で低温や大雪に見舞われた。特に、二月中旬の記録的な寒波は、各地で大雪や低温による被害が大きかった。福岡では、二月十六日の日最低気温が氷点下五・二℃(二月の日最低気温の低い値の累年第五位)まで下がり、日最高気温も氷点下一・三℃と、一九五一年(昭和二十六年)以降低い値の第一位を記録する異常低温となった。
 このため、福岡市、北九州市などで、水道管の破裂や断水が数千世帯に及んだほか、果樹、野菜、茶などに大きな被害がでた。九州縦貫道はほぼ全面にわたってストップし、スリップ事故や鉄道のダイヤの乱れ、空の便の欠航があいついだ。また、この年には、インフルエンザがまん延するなど、寒波の影響は社会の各分野に波及した。」
 
 ii 福岡県の昭和五十五年の冷夏
 また、福岡管区気象台(一九九〇年)によると、昭和五十五年の冷夏については、次のように記している。
 「一九八〇年(昭和五十五年)の夏、福岡県は顕著な冷夏に見舞われた。この夏期間の福岡の日平均気温、日降水量、日照時間などのうち、特に、七月(八八六・〇ミリメートル)と八月(八四六・五ミリメートル)の降水量は、月降水量の多い値の累年第一位を記録する多雨となった。また、八月の月平均気温は二四・五℃で、平年より二・八℃も低く、八月としては月平均気温の低い値の累年第一位となった。八月の月日照時間は七七・八時間で、これは平年のわずか三五パーセントという日照不足の状態がつづいた。
 このため、福岡県では水稲をはじめ、果樹、野菜、花き類、大豆、飼料作物などほとんどの農作物に大きな被害がでた。また、海水浴場やプールの客は少なく、アイスクリーム、ビール、冷房器具など、夏物商品の売れゆきは落ちこみ、土木建築関係の屋外作業は遅れるなど、経済活動や日常生活にも大きな影響をおよぼした。」