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(2) 豊津町の降水量分布

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 降水量も、気温と同様に福岡県農業総合試験場豊前分場の資料を、豊津町のデータとして使う。
 この地点では、降水量の月平均値は第15図のとおりである。年降水量の一八三八・二ミリメートルで、福岡県全体では、一八〇〇ミリメートル以下の降水量は周防灘から響灘、玄界灘の沿岸部と筑豊地方に分布する。しかし内陸の山地部や筑後地方の平野部では一八〇〇ミリメートルを超える。平成六年版の『理科年表』では、福岡市の年降水量は一六〇四ミリメートルで、これに比べれば、豊津の方がやや内陸の要素が強く表れているといえる(第15図)。月別には、八月、十月、十一月、十二月以外は豊津の方が多い。八月の降水量が少ないのは、瀬戸内海の影響が表れていると考えられ、冬季は山の陰をなすことで、少ない値が出ているようである。

第15図 豊津と福岡の降水量分布比較

 豊津における昭和二十六年から平成六年までの、一月、四月、八月、十月(平成五年まで)の降水量を第16図に示した。

第16図 豊津の昭和26年~平成6年8月の降水量の推移
(1月、4月、8月、10月)

 一月は平均値が七五・三ミリメートルである。これまで極端に少ないのは昭和三十七年の一七・七ミリメートル、四十九年の二三・〇ミリメートル、五十二年の一八・三ミリメートル、六十一年の二三・二ミリメートルなどである。逆に極端に多い降水量は昭和三十九年の一四九・七ミリメートル、四十四年の一四三・六ミリメートル、四十七年の一八二・二ミリメートル、四十八年の一四九・五ミリメートルである。気温と降水量に相関があるわけではないが、一月の降水量が極端に少ない年は、年平均気温も低めの傾向があるようにみえる。多いときはほとんど平均的な気温である。
 四月は昭和三十年が極端に多く、四二二・一ミリメートルである。それに三十三年の三一六・三ミリメートル、四十二年の二八一・三ミリメートル、五十年の二六八・六ミリメートルが続く。逆に最少降水量は四十六年の四三・二ミリメートル、四十三年の五七・〇ミリメートル、平成一年の七二・二ミリメートルが続く。
 八月は昭和五十五年が極端に多く、七二九・四ミリメートルである。それに平成五年の三八四・〇ミリメートル、三十一年の三六一・四ミリメートルが続く。八月の降水量が多いということは、梅雨による降水が多いことを示しており、本来六月、七月の梅雨の時期が八月まで続いたことを示し、逆に八月の降水量が小さい年はかなり頻繁にみられ、これは干ばつの被害にあった可能性を示している。昭和三十年の四二・一ミリメートル、三十五年の三一・一ミリメートル、四十二年の二九・九ミリメートル、四十三年の三四・八ミリメートル、四十九年の二五・二ミリメートル、平成二年の一八・八ミリメートル、平成六年の一九・〇ミリメートルなどがそれに当たる。
 十月の降水量は、一部台風の影響を反映している。通常は九月の極大が台風による降水で、十月はその影響がかなり小さくなる。しかし、昭和二十六年には三四四・七ミリメートルの降雨があり、最も大きな値を示している。これは十月十四日のルース台風(台風一五号)による降雨と思われる。
 全年の合計では、昭和五十五年が、飛び抜けて大きい降水量を示している(第17図)。合計二九八九・七ミリメートルであり、平均値を一一〇〇ミリメートル超えている。これは七月の降水量九六〇・九ミリメートルと八月の降水量七二九・四ミリメートルによるところが大きい。六月の降水量が一七五・一ミリメートルと、平均の五五パーセントであることから、この年は遅れて梅雨に入り、梅雨明けが極端に遅れ、また集中的に豪雨が続いたことによる。この点については前項の冷夏の部分で述べたとおりである。昭和四十七年は二五七三・五ミリメートルで、この年は六月に五〇七・七ミリメートル、七月に五七〇・七ミリメートルと梅雨の時期の降雨が多かったことと冬季の降水量などが全体的に多いことによる。

第17図 豊津の昭和26年~平成6年8月の降水量の推移(全年)

 逆に全年の合計で降水量が少ないのは、昭和五十三年(一一六〇・〇ミリメートル)、五十九年(一二八一・二ミリメートル)である。昭和五十三年は六月に二五七ミリメートルの降水量があったが、七月に六五・三ミリメートル、八月に七八・一ミリメートルと梅雨季の降水量の少なさが大きく関与している。これにより、福岡地方は極端な水不足になり、福岡大渇水と呼ばれている。昭和五十九年も全く同じパターンで、やはり梅雨季の降水量の少なさが、全年の少なさの原因をなしている。
 平成六年の夏は日本各地で高温と少雨で特徴づけられ、福岡市でも観測史上の記録が書き換えられた。豊津町では七月に三一・〇ミリメートル、八月に一九・〇ミリメートルと、昭和五十三年を上回る少雨を記録している。これについては後述する。