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二 平成六年夏の異常気象

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 平成六年(一九九四)の九州北部の梅雨期間は、福岡管区気象台によると、六月七日から六月三十日にかけての二四日間で、これは平年の四〇日間より一七日も少ない。この期間の降水量は、福岡で一五〇・五ミリメートルで、平年値の三三パーセントである。これは昭和十四年(一九三九)の九一・八ミリメートルに次ぐ少なさである。昭和五十三年は七月三日に梅雨が明け、昭和二十六年以降最も暑い夏になった。そのため、水不足が深刻化し、福岡県の干ばつによる被害は甚大であった。
 平成六年の福岡市の六月一日~八月三十一日の三か月間の真夏日は六四日、降水量は二〇一ミリメートルである。降水量は平年(六七九・七ミリメートル)の三割に満たない。明治二十三年(一八九〇)の観測開始以来最少である。八月の平均気温は平年より二・二℃高い二九・八℃で、史上最高である。福岡市は九月十一日に最高気温が二九・八℃になり、七月二十七日から四六日続いた真夏日から解放された。これは太平洋高気圧に覆われていた九州地方が、十一日までの寒冷前線の南下に伴い、中国大陸北部に中心のある冷たい気団の移動性高気圧が張り出してきたためである。福岡市では、八月十五日に福岡管区気象台の観測史上最高の三七・七℃を記録し、降水量も七月に史上最少になるなど異常な暑さだった。福岡管区気象台の連続真夏日記録は昭和四十八年の五六日である(讀賣新聞一九九四年九月十二日付朝刊)。
 豊津町では、六月の平均気温は二一・九℃、七月の平均気温は二九・〇℃、八月の平均気温は二八・四℃で、七月と八月の平均気温は平年に比べ、それぞれ二・六℃、一・二℃高かった。気温の極値は、七月十九日に三六・五℃、八月五、六、七日に三四・四℃で、七月の三六・五℃が平成六年夏の極値であった。この気温は、福岡に比べ一・二℃低い。
 降水量は六月に二三〇ミリメートル、七月に三一ミリメートル、八月に一九ミリメートルで、三か月間の総降水量は二八〇ミリメートルである。六月の降水のほとんどは二十日までに降り、二十一日以降は二二ミリメートルしか降っていない。更に七月、八月の合計がわずかに五〇ミリメートルで、六月二十一日以降の総降水量は七二ミリメートルと、異常に少ない状態であった(第3表)。
 平成六年の夏は日本の各地で、高温と少雨の気候状態が続いた。気象庁は六~八月の三か月間の気候統計値をまとめ、「明治時代に気象庁が始まって以来、最も暑い夏」と発表した。平均気温や熱帯夜、日最高気温などさまざまな記録が各地で塗り替えられた。
 一方では、中国南部では、洪水による死者が少なくとも一四〇一人、経済的損失が五三〇億元(約六三〇〇億円)と、この年の五月以降の大雨による被害が報告された(朝日新聞一九九四年七月十二日付朝刊)。
 全国的に低温・日照不足、多雨となり全国的な冷夏に見舞われた平成五年の夏と、全く対照的な高温少雨で特徴づけられる平成六年の夏は、両極端の気候が連続して出現したことになる。これが偶然に出現したものか、地球の大気循環の変化により必然的に現れたのか、明らかではない。
 我々は、気候を通じて地球全体の環境変化を見つめることが重要であるといえる。