ナイフ形石器文化は全国的にみて、約三万年から始まる。九州内で最も一般的に出土するこの時期の石器は、縦長の茂呂型ナイフ形石器と台形石器である。ナイフ形石器は切り出しナイフ状の刃を持つ石器で、ナイフとしての機能と剌突具としての機能を持つ。台形石器もナイフ形石器の一種であるが、鏃(やじり)としての機能を持つ可能性がある。長崎県田平(たびら)町の日ノ岳遺跡ではⅢ層から台形石器または台形様石器が一八点、ナイフ形石器全体では一二点が出土しているが、上層のⅡ層ではナイフ形石器一三点に対し、台形様石器は一点しか出土していない。また、長崎県国見町百花台(ひゃっかだい)遺跡では比較的新しい時期のやや小形の台形石器が出土している。全体としては、台形石器はナイフ形石器文化の初期から盛んに製作され、中期に衰退したのち終末期にやや小形のものが再び製作されるようになる。西九州で出土する台形石器は終末期の小形のものが多い。一方、茂呂型ナイフ形石器は台形石器よりやや遅れて九州や関東・中部地方で広く製作される。この両者の石器が出土している北部九州の主な遺跡としては、福岡市諸岡遺跡・佐賀県肥前町磯道遺跡・長崎県平戸市中山遺跡などがある。また、近畿・瀬戸内地方でみられるサヌカイトの横長剝片を素材とする国府型ナイフ形石器は、北部九州の瀬戸内海周辺でも後半期に使用されている。
ナイフ形石器文化も後期になると、九州ではナイフ形石器とともに尖頭器が作られるようになる。尖頭器は槍先に使用する狩猟具であるが、剝片尖頭器と三稜尖頭器の二つの形態がある。剝片尖頭器は縦長剝片の先端部をとがらせ、打面側の基部の両側縁を打ち欠いてやや細くしたものである。三稜尖頭器は断面三角形をなす棒状の尖頭器である。これらの尖頭器はナイフ形石器文化の衰退とともに、減少していく。