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後期

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約四〇〇〇年前から始まる後期は、土器の製作技術や形態のうえで画期となっている。器種では注口土器・浅鉢・台付き鉢・壺(つぼ)などが普及し、個々の土器の器壁の厚さが薄くなり品質が向上した。後期の土器の最大の特徴は、磨消縄文であるが、これは縄文地を沈線で区画し、外側の縄文を磨(す)り消して一部の文様を際立たせる手法である。この手法は全国的に流行し、後期初頭には北海道南部・東北北部の入江・十腰内(とこない)式、関東・中部の称名寺(しょうみょうじ)式、東海・近畿・中国の中津式などに取り入れられている。九州でも中津式・小池原(こいけばる)上層式・鐘崎(かねざき)式がこの典型である。後葉になると九州では磨消縄文が衰え、新たに黒色磨研土器と呼ばれる三万田(みまんだ)式・御領(ごりょう)式が成立する(第3図)。
 

第3図 北部九州の縄文時代後期の土器

 この時期関東・東北地方では製塩土器が出現することから、食料を塩漬けで保存することもあったと想像される。また、九州では打製石斧が急増し、磨石(すりいし)や石皿も多いことから、地下茎や球根類を掘り、堅果類の採集も盛んで、食料としていたと考えられる。