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集落と住居

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縄文時代の集落は、広場を中心に円形に竪穴住居を配置する大形の環状集落や、群集する大規模集落、あるいは移動式の平地住居や屋外炉からなるキャンプサイト的集落、単独住居しかない集落などさまざまな形態がある。環状集落の場合、丘陵地の頂上部の平坦面を広場とし、その周囲に竪穴住居を建て、更にその外方に生活廃棄物を捨てた貝塚が形成されている。このような貝塚は馬蹄(ばてい)形をなす場合が多い。千葉県加曽利(かそり)貝塚(第5図)では中期と後期の九四五三平方メートルの貝層分布が確認されている。しかし、このような大規模集落も、普通一時期に存在した住居は五~六軒で、人口も三〇人前後と想定されている。ただし、近年青森県三内丸山遺跡ではより大規模な集団の集落も確認されている。また、縄文時代の集落内にはしばしば屋外炉が検出されるが、これは調理場として使用されたものと考えられる。
 

第5図 縄文時代の集落(加曽利貝塚)

 住居の形態は竪穴住居が一般的であるが、掘立柱(ほったてばしら)建物や平地住居などもある。竪穴住居跡は平面形が円形または方形で、大きさは四~五メートル程度が一般的である。千葉県市川市姥山貝塚は台地の縁辺部に馬蹄形に住居跡が分布しているが、ある住居跡内には成人男女各二人と小児一人の合計五人が生き埋めになっていた。このような例からして一つの竪穴住居内に生活した人数は四、五人程度と推定されている。なお、竪穴住居のなかには非常に大形のものもあり、集会所や共同作業所として使用されたと推定される。掘立柱建物は東日本で前期に発見されるが、集落の中心部に位置することが多く、集会や祭祀儀礼のための多目的施設であろう。平地住居はテント式の移動可能な住居で、狩猟などで短期間滞在するために設営した住居である。