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装飾と装身具

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縄文人の精神的生活の一端は、身体や顔などへの入れ墨や彩色などに表現されていたと推測されるが確認された例はない。健康な歯を抜く抜歯は晩期に列島各地で行われていた。愛知県田原町の吉胡貝塚では、一三三体の成人人骨のうち一二五体が抜歯していた。また、岡山県笠岡市津雲貝塚では、鹿角製腰飾りや玦状(けつじょう)耳飾りなどを持つ人骨が出土している。抜歯はある規則性をもって実施される通過儀礼の一種で、その形態の相違や装身具の有無から、出自や婚姻の様子などを知ることができる。
 装身具(第7図参照)としては、頭や耳、首、腕、腰などの部位に装着する土製、石製、貝製、骨角製などの製品がある。頭部の装身具には、骨角または骨製のヘアピンのほかに、前期の福井県鳥浜貝塚からは漆(うるし)を塗った木製の竪櫛(たてぐし)が発見されている。耳飾りには、主として、玦状耳飾りと耳栓(せん)とがある。玦状耳飾りは東アジアに広く分布し、日本では早期末に中部・北陸地方で出現し、前期には関東・東北・近畿・九州の広い範囲でみられる。素材は滑石・流紋岩などが多い。耳栓は中央部がややくびれた鼓状の土製品で、中期中葉に東日本で登場する。また、晩期の群馬県千網谷戸遺跡などからは透し彫りを持つ円形の土製耳飾りが出土している。首飾りは縄文時代に特有の硬玉製大珠のほかに、石や土で作った勾玉(まがたま)・丸玉・管玉(くだたま)・垂玉などを連ねたネックレス状のものもある。硬玉は新潟県姫川流域と富山県東部に良好な産地があり、中期・後期に同地域で集中して大珠などを製作していた。また、琥珀(こはく)製品は千葉県銚子や岩手県久慈に産地があった。腕飾りは貝輪が早期から縄文時代を通して広く使用されていた。二枚貝と巻貝では製作方法が異なり、時期や地域によっても貝の種類が異なる。腰飾りは鹿(しか)角の枝分かれした部分を利用した装身具で、中期前半に関東・東北地方で作られ、晩期になると近畿から九州にかけての地域でも使用される。装身具であるとともに、呪術的(じゅじゅつてき)な用途が考えられている。

第7図 装身具を付けた縄文人
右は前期の女性 左は晩期の呪術者(町田章氏原図)