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調査経過と遺跡の概要

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節丸地区の祓川西側の沖積地には、広く条里制の遺構が分布していた。調査の契機は、農村基盤総合整備パイロット事業に伴う水田の区画整理であった。区画整理に伴い条里制遺構がほとんど消滅すると予想されたため、事前にこの遺構を確認することが当初の目的であった。トレンチによる最初の試掘調査の結果、当該地区は水田の耕作土が予想外に薄く、当初目的としていた条里制遺構の確認はほとんど困難であることが判明した。しかし、耕作土下の砂礫層には多量の縄文土器片が含まれており、幅数メートルの落ち込みやピットなどが検出された。このため、平成元年(一九八九)六月に縄文時代の遺構・遺物の分布範囲を確認するとともに、発掘調査地域を決定するため、再度三三か所で試掘調査を実施した。
 試掘の結果、当遺跡は祓川の河川敷のわずか二〇~四〇メートルに隣接し、南北長さ約二三〇メートル、東西幅約一〇〇メートルで、その面積は約一万八〇〇〇平方メートルの広範囲に及ぶことが判明した。発掘調査地は基本的に区画整理工事で削平される部分を対象とし、かつ遺構が最も集中する部分を調査する必要から、本調査区は遺跡の中央部からやや北部にかけての地域に設定した。縄文時代の遺構面は、西側で標高約五六メートル、東側では約五四メートルと低くなっている。なお、調査区は水田間を走る農道を挟んで北区と南区とに分割した。
 確認された遣構は、後期から晩期にかけての竪穴住居跡二四軒と埋甕一基のほか、土壙(どこう)・集石遺構・溝状遺構・ピットなどである(第9図参照)。調査面積は、北区が二二三六平方メートル、南区が六五三平方メートルで、合計二八八九平方メートルであり、遺跡全体の約六分の一足らずである。

第9図 節丸西遺跡全体図