試掘の結果、当遺跡は祓川の河川敷のわずか二〇~四〇メートルに隣接し、南北長さ約二三〇メートル、東西幅約一〇〇メートルで、その面積は約一万八〇〇〇平方メートルの広範囲に及ぶことが判明した。発掘調査地は基本的に区画整理工事で削平される部分を対象とし、かつ遺構が最も集中する部分を調査する必要から、本調査区は遺跡の中央部からやや北部にかけての地域に設定した。縄文時代の遺構面は、西側で標高約五六メートル、東側では約五四メートルと低くなっている。なお、調査区は水田間を走る農道を挟んで北区と南区とに分割した。
確認された遣構は、後期から晩期にかけての竪穴住居跡二四軒と埋甕一基のほか、土壙(どこう)・集石遺構・溝状遺構・ピットなどである(第9図参照)。調査面積は、北区が二二三六平方メートル、南区が六五三平方メートルで、合計二八八九平方メートルであり、遺跡全体の約六分の一足らずである。
第9図 節丸西遺跡全体図