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遺構の詳細

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設定した調査区の位置は、縄文時代の集落の中央部付近に相当すると推定される。集落を構成する竪穴住居跡の分布状況は、南区では全域にわたって密集するが、北区の北西部では空白地が認められる。また、住居跡の形態は平面形が円形のもの、楕円形のもの、方形のものなどがあり、主柱穴の配置も円形にめぐるもの、方形に配置されるもの、主柱穴が確認されないものなどがある。また、住居内の床面は平坦なもの、皿状にくぼむものがあり、炉跡(ろあと)は中央部に設置される場合が一般的である。
 5号住居跡(第10図)は、北区の中央部に位置し、標高は五四・二メートルである。住居跡の平面形は、全体としては楕円形をなすが、これは二軒ないし三軒が重なり合っているためと考えられ、東部の床面が一段高くなっている。住居跡の規模は東西方向の長径が九・七二メートル、南北方向の短径が七・五〇メートルで、床面の深さは〇・五一メートルを計る。主柱穴は長径五・五二メートル、短径五・〇四メートルとやや楕円形にめぐる七本が検出された。これらの主柱穴の掘方は基本的に円形をなし、径約三〇~一〇〇センチメートルのものもあるが、径四五センチメートル前後のものが多い。また、主柱穴は柱と穴のすき間に小石を詰めて根固めをする特徴がある。住居跡内の床面はやや皿状にくぼみ、中央部に石組みによる炉跡がある。炉跡は長径〇・七六メートル、短径〇・六四メートルの楕円形をなし、深さ〇・二〇メートルで皿状にくぼむ内側の壁面に径一五~三〇センチメートルの小礫を張り付ける構造になっている。この石組み炉の南側では、床面が焼けた地床炉も検出された。

第10図 節丸西遺跡5号住居跡実測図

 5号住居跡内からは、パンコンテナ四〇箱にのぼる多量の後期後葉の土器や石器が出土している(第11図)。2は口縁部径一一センチメートル、器高一〇・五センチメートルの完形の浅鉢形土器である。3は波状口縁をなす磨消縄文土器の口縁近くの破片である。5は橋状把手の退化した突起を持つ鉢形土器である。6~16は石器で、6~8が黒曜石製の石鏃である。10はサヌカイト製のスクレイパー、12は安山岩の扁平な礫を利用した石錘である。13・14は緑泥片岩製の扁平打製石器、15・16は蛇紋岩製の磨製石斧である。

第11図 節丸西遺跡5号住居跡出土遺物実測図

 8号住居跡(第12図)は、北区の南西部で、5号住居跡の南西約一四メートルに位置する円形の竪穴住居跡である。住居跡の規模は、直径三・八メートルと小形で、深さは〇・二五メートルである。主柱穴は住居跡内のやや南側に一本検出されただけである。作業用の台石が床面中央部と北西部から出土した。出土遺物は、後期後葉の土器などパンコンテナ七箱分ほどあり、深鉢形土器には文様部分に赤色顔料を塗布するものがある。

第12図 節丸西遺跡8号住居跡