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後期

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当地域の縄文時代で、最も数多くの遺跡が発見されているのが後期である。特に近年になって集落跡の調査が進み、遺物も多量に出土している。
 苅田町浄土院遺跡は古く昭和三十一年(一九五六)と四十七年に調査され、西平式土器を使用した甕棺墓が発見され、内部から成人女性の火葬人骨が出土した。この時期の埋葬方法を考えるうえで重要な遺跡となっている。築城町では松丸D遺跡で甕棺墓が四基発掘されている。いずれも深鉢形土器を使用したもので、うち二基は埋葬時にあらかじめ土器の底部を取り除いていた。
 山崎・石町遺跡は椎田町大字越路(こいじ)の岩丸川の扇状地右岸で、標高約二一メートルに位置する。両遺跡は全体として一つの集落をなすと考えられる。遺構は住居跡一一軒・石囲炉一基・甕棺墓三基が発見されている。7号住居跡(第18図)は鐘崎Ⅲ式期に属し、平面形が一辺六・四メートルの隅丸方形をなし、柱穴は周壁に並行して方形に八本検出され、中央部には石囲炉が設置されている。集落が営まれたのは後期前葉の小池原上層式から後葉の三万田式の時期にかけてである。遺物では土偶が二点出土している。

第18図 椎田町山崎遺跡7号住居跡実測図

 中村石丸遺跡は、豊前市北部の角田(すだ)川北岸の標高一二メートルの平地に位置する。主な遺構は竪穴住居跡一〇軒・甕棺墓四基・土壙墓一基・土器炉一基などである。住居跡は山崎・石町遺跡と同様に、小池原上層式から三万田式の時期まで連続して発見されている。遺物では異形の台付き鉢や石製の玦状耳飾りが注目される。土佐井遺跡は、大平村北部の東友枝川の左岸段丘に位置し、標高四五・五メートル前後である。検出された主な遺構は住居跡五軒と溝一条である。遺物としては、二点の土偶が注目される(第19図)。

第19図 大平村土佐井遺跡出土土偶

 原井三ツ江遺跡は、大平村南部の山国川中流左岸の狭い平地にあり、標高は四二メートル程度である。小範囲の調査で住居跡一軒と溝二条が確認されている。住居跡内から西平式土器・三万田Ⅰ式土器とともに土偶が三点出土している。
 そのほかの京築地域の遺跡としては、行橋市畠田・長通遺跡、豊津町節丸西遺跡、徳永川ノ上遺跡、神手遺跡、犀川町寺門遺跡、清四郎遺跡、五反田遺跡、築城町十双遺跡、伝法寺(でんぼうじ)遺跡、椎田町小原岩陰遺跡、豊前市小石原泉遺跡、新吉富村垂水(たるみ)遺跡、大平村上唐原(かみとうばる)遺跡などがある。