この時期の遺跡は後期から連続するものが多いが、具体的な遺構が確認された例は少ない。タカデ遺跡は、犀川町北部の祓川中流右岸の沖積地に所在する遺跡で、標高は八四メートル前後である。方形の平面形をなす住居跡の周辺から晩期の土器片などが出土している。
築城町十双遺跡では、長さ五・〇メートル、幅四・〇メートルの楕円形に近い竪穴住居跡が確認され、壁際から屋内炉とみられる焼土壙(こう)が検出された。また、土壙墓の可能性がある長さ一三〇センチメートル、幅七七センチメートルの土壙も発見されている。築城町松丸D遺跡でも、直径五・一~五・六メートルの円形の住居跡が発見され、中央部には炉跡が検出された。遺物は晩期中葉の土器片と姫島産黒曜石の石鏃と結晶片岩製打製石斧片が出土している。椎田町山崎・石町遺跡では、晩期初頭ないし前半ごろの甕棺墓が二基以上発見されている。団後遺跡は、豊前市北部の角田川右岸に位置し、標高は二五メートル前後である。晩期の遺構は住居跡二軒が発見され、そのうち3号竪穴住居跡は楕円形に近い平面形をなし、土器とともに姫島産黒曜石の石鏃や石皿・作業台・石斧などが出土した。時期は中葉に属する。
これらのほかに、苅田町浄土院遺跡、行橋市畠田・長通遺跡、豊津町神手遺跡、犀川町自在丸遺跡、寺門遺跡、清四郎遺跡、五反田遺跡、築城町伝法寺遺跡、椎田町小原岩陰遺跡、豊前市小石原泉遺跡、大平村土佐井遺跡、川下遺跡、原井三ツ江遺跡などでこの時期の遣物が出土している。