縄文時代の最も一般的な狩猟用具は弓矢であり、石鏃は矢の先端に装着される石器である。石材は、大分県姫島産や佐賀県腰岳産の黒曜石と、安山岩とが利用されている。狩猟関連遺構として、当地域では落とし穴状遺構が幾つかの遺跡で確認されている。落とし穴状遺構は、平面形が一~二メートル程度の円形ないし方形をなす竪穴で、底には杭(くい)を立てる穴が掘られている。豊津町徳永川ノ上遺跡では四一基にのぼる落とし穴状遺構があり、一部は後期のものと考えられている。ほかにも、豊津町神手遺跡で五基、築城町安武・土井の内遺跡で二三基、広末・安永遺跡で六基確認されている(第21図)。
第21図 築城町広末・安永遺跡4号落とし穴状遺構
狩猟の対象となっていた動物遺骸の出土例は少ないが、小原岩陰遺跡ではイノシシ・シカのほかにイタチ程度の小動物やカエルの骨が縄文土器の単純層から出土している。