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漁労活動

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京築地域では、縄文時代の貝塚は発見されておらず、食料としていた具体的な魚介類は不明である。ただし、現在の京都平野などは浅い内湾で、中小の河川も多数存在することから、海産物や淡水産の食料は豊富であったと推定される。
 漁労活動を示す遺物としては、石錘がある。石錘は数センチメートル程度のやや扁平な小礫の両端を打ち欠き、ひもで結んで漁網のおもりとして使用する道具であり、節丸西遺跡、松丸D遺跡などで出土している(第22図)。また、土器片を打ち欠いて作った土製円板も漁網のおもりの可能性があり、節丸西遺跡、山崎・石町遺跡、原井三ツ江遺跡などで多数出土している。

第22図 節丸西遺跡出土石錘

 魚類の捕獲には漁網による以外に、釣りも行われていたと考えられるが、当地域では釣針の出土例はない。また、貝類も重要な食料となっていたが、小原岩陰遺跡ではハマグリ・カキ・ニナ・シジミなどの貝殻が出土している。