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早期

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早期前半には押型文土器が発達するが、九州内では北部(福岡・長崎・佐賀・大分)と南部(熊本・宮崎・鹿児島)とで地域色が顕著になる。後者の土器が平底で、器壁が厚いのに対し、前者は尖底で、器壁が薄いのが特徴である。
 この時期、全国的に生活が安定し、定住化が進む。福岡市柏原(かしはら)遺跡群はこの時期の大規模な遺跡であり、A-2遺跡では炉跡二基のほか住居跡四軒・土壙墓一九基が検出された。E遺跡でも竪穴住居跡一〇四軒・土壙墓二八基が発見されている。土壙墓は一般的には平面形が方形であるが、なかには木棺墓と推定されるものや、頭部に扁平な石を置いて埋葬したものなどがある。また、遺物では石鏃とともに異形局部磨製石器や石斧・環状石器などが出土している。
 大分県本耶馬渓町の枌(へぎ)洞穴では、早期から後期に及ぶ文化層と六九体の人骨が発見されたが、押型文土器を伴うⅥ層から九体の埋葬人骨が出土している。