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前期

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前半期には、九州全域で貝殻文系土器の轟式土器が普及する。その後、朝鮮半島の櫛目文土器の影響がうかがえる曽畑式土器が西九州に成立し、南部九州へと広がる。
 早期終末にはアカホヤ火山灰の噴出により、南部九州では動植物や人間の生活に壊滅的な打撃が与えられる。北部九州でも降り注いだこの火山灰が深刻な影響を与えたと考えられるが、その後の気候の温暖化によって自然環境も回復し、西九州の海岸部を中心に漁労活動が盛んになり、貝塚が形成される。漁具では「西北九州型結合釣針」(第23図3・4)と呼ばれる軸部と針部を別々に作って組み合わせて使用する釣針が出現し、佐賀県唐津市菜畑遺跡では曽畑式に伴って出土している。
 

第23図 北部九州の縄文時代漁労具

 福岡県内の遺跡では玄界灘・遠賀川流域の北九州市楠橋(くすばし)貝塚・鞍手町新延(にのぶ)貝塚などで轟B式土器が出土しており、岡垣町元松原(もとまつばら)遺跡で曽畑式土器が出土している。また、筑後川流域でも久留米市野口遺跡・甘木市柿原野田遺跡などで轟式・曽畑式土器が出土している。