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後期

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西日本では後期に磨消縄文土器が出現するが、その初頭に瀬戸内周辺に広く分布するのが中津式土器である。一方西九州では阿高式系の土器が存続している。その後、小池原下層式を経て、中葉の小池原上層式・鐘崎式土器に至って、北部九州の磨消縄文土器は最も華美な装飾が施されることとなる。この時期の土器は口縁部が波状をなしていて、波頂部の下に渦巻文や入組文などを描き、橋状取手を付けるものもある。北久根山式土器になると、器面全体を貝殻条痕で調整し、口縁部を肥厚させ刻み目状の斜線文を施す。その後、西平式土器では口縁部が直線的に延び、端部で内傾する。胴部は球形に膨らみ、文様は直線的になる。終末の三万田式土器では縄文文様はほとんど消滅し、器面を黒色に磨研するようになる。
 北部九州では貝塚が急増し、ヘナタリ・ウミニナ・ハマグリ・マガキ・オキシジミなどの内湾砂泥性貝類や、アジ・イワシ・スズキ・クロダイ・エイなどの沿岸底棲魚類が発見される。前期・中期以降に現れた各種の漁労具は引き続き多数発見されている。大分県西和田貝塚では骨製尖頭具が、大分県中津市植野貝塚では切目石錘が、福岡県玄海町鐘崎貝塚でも石製の銛や骨製のヤスが出土している。
 住居跡内には土器炉・石組み炉などの施設が現れ、遺物でも土偶・土器片錘・扁平打製石斧など東日本の磨消縄文文化の影響がみられる。大分県中津市棒垣遺跡では石組み炉を持つ竪穴住居跡に複数の成人人骨が伸展葬されていた。また、北九州市寿命(じめ)貝塚でも石組み炉を持つ円形住居が発掘されており、福岡県吉井町の法華原(ほっけばる)遺跡では扁平打製石斧と石皿・磨石などが出土している。土器片錘は北九州市下吉田遺跡や岡垣町元松原(もとまつばら)遺跡から出土している。