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〔水稲農耕社会の成立〕

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 縄文時代の晩期後半、北部九州の玄界灘沿岸に次々に降り立った渡来人があった。彼らは在来の縄文人に比べ背が高く、水稲耕作を行うための新しい技術と文化を携えていた。彼らがもたらした新しい生活様式は、縄文人の生活に比べ、自然環境に左右されにくい米という食料を安定して収穫することができたため、周辺地域の人々にまたたく間に受け入れられていった。その後、この水稲耕作文化は西日本の海岸部や平野部に急速に広がり、更に関東・東北地方まで波及するのに長い歳月は要しなかった。