日本の土壌はやや酸性であるため、石灰質の貝塚が形成された縄文時代と異なり、弥生文化を担った人々の骨の出土例は少ない。
弥生人骨は九州北部と山口県西部地域で比較的多く出土しているが、これらの地域の中でも二タイプの弥生人がみられる。福岡県・佐賀県・熊本県の平野部と山口県の西海岸に分布する北部九州タイプは、顔の高さが高く、鼻が低く、顔は全体的に扁平である。身長は男性で一六二~一六四センチメートル、女性で一五〇センチメートル程度と高い。長崎県・佐賀県・熊本県の海浜部の遣跡から出土する西北九州タイプは顔の高さが低く、幅が広く、鼻が高く、全体的に彫りが深い。身長は男性で一五八センチメートル、女性で一四八センチメートルとやや低い。両者のうち、西北九州タイプの弥生人は、縄文人の特徴を備えることからその子孫と考えられている。北部九州タイプの弥生人は、水稲農耕文化を携えて渡来してきた人々の子孫で、在地の縄文人との混血もあまり行われなかったとする人類学的見解もある。ただし、朝鮮半島での同時期の人骨は、慶尚南道三千浦市の勒島人骨があるが、まだ十分な資料や研究成果が得られていない。中国大陸でも同時期の人骨が極めて少なく、弥生人がどこから来たかについてはまだ答えが出ていない。