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石器

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弥生時代の石器には、水稲農耕に伴って新しく伝来してきた太形蛤刃石斧・扁平片刃石斧・柱状片刃石斧・石庖丁・石剣などの大陸系磨製石器と、それ以前の打製石鏃・磨製石斧・磨石などの縄文系の石器とがあり、金属器の普及に伴いそれを模倣して作られた石器もある(第4図参照)。

第4図 弥生時代の石器

 太形蛤刃石斧(1)は、伐採用の石斧で、住居や農具・灌漑用材など多量の木材の生産に必要な石器であった。前期末以降、太く大形のものが増加し、福岡市今山遺跡産出の玄武岩を用いた石斧は、長さ二〇センチメートル以上、重さが一・五~二キログラムもある。縄文系の磨製石斧は結晶片岩や蛇紋岩などの石材を使用し、薄手で、やや小形のものが多い。扁平片刃石斧(5)は木材の加工用具で、長さ五~六センチメートル、幅三~四センチメートルで、厚さ一センチメートル前後の縦長板状の石斧である。短辺の一つを片側から研ぎだして刃部を作る。柱状片刃石斧(3・4)も加工用具であるが、断面が方形ないし台形をなす棒状の石斧で、一端にノミ状の刃部がついている。長さ一五~二〇センチメートルの大形品が多く、基部近くにひもで柄に固定するための抉(えぐ)りがある。
 石庖丁は稲の穂を摘む収穫用具で、初期には朝鮮系のものに類似した外湾刃(じん)半月形(6)が西日本各地で使用されたが、中期になると瀬戸内東部ではサヌカイト製で方形の打製石庖丁(8)が製作され、畿内では結晶片岩製の直線刃(じん)半月形(9)が増加するなど、石材や形態に地域性が顕著になる。北部九州では福岡県飯塚市の立岩(たていわ)遺跡周辺で、赤紫色の輝緑凝灰岩や粘板岩を使用した外湾刃半月形のものが製作されている。同様の石材はこの地域から下関市にかけて分布する脇野亜層群の地層から産出し、北部九州の他の地域でも石庖丁などの石器が作られたようだ。また、長さ二〇~三〇センチメートルの大形石庖丁と呼ばれる一群の石器(10)は、用途が不明である。収穫用の石器では、ほかに石鎌(がま)がある。石鎌は方形ないしやや弧を描く形態をなし、一辺に刃部を持つ。華北や朝鮮半島北部では、粟・稗(ひえ)などの雑穀の収穫用具として使用されている。
 石鏃は、縄文時代以来の黒曜石や安山岩系の石材を利用した打製石鏃(12)に加えて、粘板岩や砂岩系の石材を素材とした磨製石鏃(11)が新しく作られる。縄文時代では狩猟用具として使用されていたが、弥生時代ではしばしば武器として使用されている。石鏃以外の狩猟用具または武器としては、投弾(とうだん)がある(13)。長さ四~六センチメートル程度の球形ないし紡錘形の形態をなし、帯状または棒状の器具を使用して投げる弾である。そのほかの武器用の石器としては、石剣・石戈(せっか)がある。石剣は前期には銅剣を模倣した有柄(ゆうへい)式磨製石剣が少数みられるが、一般的には別の柄に装着するための茎(なかご)を持つ磨製石剣が多い(14)。石戈は主軸が柄に対して直交または斜交する磨製の武器である(15)。
 石錘(せきすい)は漁網のおもりで、縄文時代から使用され、弥生時代でも土製品とともに使用されている(16)。
 紡錘車(ぼうすいしゃ)は糸を紡ぐ際に撚(よ)りをかける紡錘につけられた円板形の石製品である(17)。
 磨石(すりいし)・敲(たたき)石は主にほかの道具の製作や調整のほかに、食料の調理に使用されていた(20)。台石・石皿は作業台や調理台が主な用途である(21)。
 砥石は、金属器や磨製石器などの道具が日常的になり、需要が増加した。一定の場所に置いて使用する大形品と、携帯して使用する小形品があり、更にキメの粗いものや細かいものなど用途に応じたさまざまな種類がみられる(18・19)。