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墓地の構造と変遷

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このような各種の埋葬施設は、集落から離れた場所に集中して営まれ、共同墓地を形成する。その場所は、生産地(水田)と居住地(集落)の周辺部にある微高地や丘陵上などが多い。
 共同墓地内での各埋葬施設の配置は、地形に左右されるため一般的に丘陵上部の平坦面などでは列をなして規則的に並ぶ場合が多い。そして、個々の埋葬に伴う祭祀に使用された土器などを廃棄するための土壙が周縁部に掘られている。ただし、乳幼児については集落内に個別に葬られる場合も多い。
 中期・後期を通じて各地で強力な集落により地域内の集落の統合が進む。こうした統合を進めた集落の中の特定の血縁関係にある一族は、その地域社会全体の支配者である首長層となる。首長層は当初共同墓地内に一緒に葬られていたが、しだいに共同墓地外に独自の墓地を営むようになる。更にこの状況が進展して、後期後半には地域によっては特定個人墓も作られる。北部九州では中期前半からこの動きが始まり、後半になると甕棺墓に前漢鏡や玉類をはじめとする多数の副葬品を持つものが現れる。更に、後期後半には溝で区画した方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が造られる。瀬戸内の吉備(きび)地方では、中期後半から台状墓や墳丘(ふんきゅう)墓と呼ばれる盛り土を持つ特定集団墓が現れる。日本海沿岸の出雲地方では後期に、四隅突出型(よすみとっしゅつがた)の墳丘墓が造られ、近畿中央部でも中期から、方形周溝墓が営まれる。このように、首長層の墓地も各地方でそれぞれ個性的な形態になる(第11図参照)。

第11図 弥生時代の各地の首長墓
(酒井龍一「王墓の出現」『古代史復元4』より)