『魏志倭人伝』に名前が残る倭国内のクニは、対馬国・一支(いき)国・末盧(まつろ)国・伊都(いと)国・奴(な)国・不弥(ふみ)国・投馬(とうま)国・邪馬台国などである。このうち、対馬国は対馬に、一支国は壱岐に、末盧国は唐津平野に、伊都国は糸島平野に、奴国は福岡平野に比定され、不弥国は嘉穂盆地とする説が有力である(第12図参照)。また、これらのなかで伊都国や奴国の「王」墓と考えられる大形の甕棺墓からは大型の中国製銅鏡が多量に出土しており、ほかのクニの「王」墓に比べ、より高い富の集中度がうかがえる。つまり、各クニのなかでもその国力に差異があったことが推測される。
第12図 北部九州のクニグニ
(高倉洋彰氏原図)
このような北部九州の後期のクニグニも、古墳時代に入るとしだいに畿内勢力のなかに組み込まれていく。