ビューア該当ページ

〔豊津の弥生時代の遺跡〕

152 ~ 153 / 1391ページ
 豊津町内では、弥生時代前期後半から後期末に至る集落や墓地などの遺跡が三〇程度確認されている。生産活動の中心となる水田は祓(はらい)川流域の沖積平野で、前期の段階に既に開発されていたと考えられる。集落はこの沖積平野の縁辺部の微高地や河岸段丘上に所在し、墓地は更にその外縁部の低丘陵上に営まれる傾向がある。
 集落は、現在のところ拠点となるような大規模な遺跡は確認されておらず、数軒からなる分村的なものしか発見されていない。また、長期間継続するような集落も確認されていない。
 墓地については、後期に属するものが明確になっている。徳永川ノ上遺跡では周溝で区画された内部に数基の埋葬施設を持つ墳丘墓が一〇基集中し、銅鏡や玉類のほか鉄製の武器や工具を副葬するものがあり、当地域の首長層の墓地であると想定されている。