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〔徳永川ノ上(とくながかわのうえ)遺跡〕

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 徳永川ノ上遺跡は、豊津町北東部で祓川右岸の洪積丘陵上に位置している。京都平野の東側には、周防灘に面した長井浜との間に広がる低丘陵群があり、これに祓川がぶつかって流れを北に向ける地域が大字徳永地区で、祓川に面する遺跡の位置が標高二四メートルから三〇メートルで、対岸の水田地帯との標高差が八メートルもある。遺跡が立地する丘陵は、祓川に沿った南北に細長い丘陵で、南端の丘陵基部に神手遺跡、丘陵の尾根が変わって北側に鋤先遺跡、居屋敷遺跡などの徳永遺跡群に含まれる重要遺跡が祓川に沿って南北に連なっている。実際には、南側の神手遺跡の内の弥生前期の環濠集落にあたる地区は小字川ノ上に属し、古墳群が小字神手地区に広がっている。徳永川ノ上遺跡内では、南半分の弥生前・中期集落と古墳群が小字川ノ上に属し、北半分の弥生終末集落と墳墓群が小字果願寺に属して鋤先遺跡の大半と同じ小字になっている。