中期末の遺構にはB地区3号住居跡がある。この住居跡内からは炭層や焼土層が検出され、炭化米も出土しており、焼失家屋の可能性が考えられる。
後期後半から終末期の住居跡は、基本的に方形の平面形をなし、中央部に炉跡、一辺の中央壁際に屋内土壙、その左右両側の相対する辺にベッド状遺構が設けられている。主柱穴が四本の住居跡もあるが、二本の住居跡が多い。各住居跡の規模は、一辺が四~五・五メートル前後であり、特に大型の住居はない。C地区1号住居跡は、床面が長さ五・六メートル、幅五・三メートルの長方形の平面形をなし、ベッド状遺構・屋内土壙・炉跡を持ち、主柱穴は二本と考えられる。出土遺物からみて、後期後半から終末の時期の住居跡である(第26図)。この時期の住居跡は、中央部から北部にかけてのC・D・E地区に集中する傾向がある。
第26図 徳永川ノ上遺跡C地区1号住居跡実測図(1/100)