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調査経過と遺跡の概要

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調査対象地は水田であり、遺跡は農村基盤総合整備パイロット事業の区画整理に先立って調査された豊前国府推定地範囲内で確認された。
 調査は基本的に赤土の地山面と東辺部の黒色包含層の上面で遺構の検出を行いながら進めたが、黒色包含層の分布する場所では、部分的にその下の地山面で再度遺構の検出を行った。
 発掘調査は昭和六十三年四月五日から九月二十日までの五か月余りに及び、設定した調査区は南北の長さ約二六〇メートル、東西の幅約八〇メートルで、調査面積も全体で一万四〇〇〇平方メートルに達した。調査の主眼は奈良時代から平安時代にかけての豊前国府関係施設の解明におかれていた。また、区画整理事業の工期との関係から、弥生時代の遺構は個々の輪郭をすべて検出したが、工事による削平の可能性の高い南部の遺構の幾つかを完掘するにとどまった。なお、未調査の遺構の大部分は現在でも水田下に眠っている。
 調査によって確認された遺構・遺物は弥生時代から鎌倉時代に及ぶものであり、主体は七世紀から八世紀前半にかけての方形竪穴住居跡からなる集落と、九世紀から十三世紀にかけての掘立柱建物跡を中心とする豊前国府に関連する集落とであった。しかし、これらに先行する弥生時代においても集落が営まれていたことが判明した。弥生時代の遺構としては、前期から中期にかけての円形竪穴住居跡約一〇棟・貯蔵穴約二〇基・土壙墓二基・甕棺墓一基などがある。遺構の分布は、全体的に調査区の南部西半部に集中していた(第三編第三章第8図参照)。