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遺跡の性格

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当遺跡は発掘調査で確認された範囲外にも遺構の存在が予想されるが、弥生時代の中期前葉から中葉にかけての比較的短期間でかつ小規模な集落であることは確実である。この時期の新たな水田開発に伴う分村的性格の集落であろう。
 小児用甕棺墓は金築遺跡や行橋市下稗田遺跡でも集落内に単独で埋葬される例があり、成人の共同墓地は他の隣接地域に分布すると考えられる。