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遺構の詳細

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弥生時代の集落関係の遺構は、主として円形竪穴住居跡と貯蔵穴および溝からなる前期後半から中期前半にかけての一群と、後期後半を中心に古墳時代初頭にまたがる方形竪穴住居跡からなる一群とがある。
 円形竪穴住居跡は1号竪穴住居跡のように壁体が完全に破壊され、円形にめぐる柱穴群だけが検出された住居跡が幾つかある。1号竪穴住居跡は調査区東北隅に位置する。後世の削平のため、壁体は全く残っておらず、円形にめぐる主柱穴は二〇本以上になるものと推定されるが、そのうち九本のみが検出された。これらの主柱穴群はほぼ径五メートルの円周上に配置されている。床面の規模は径七メートル前後のやや大形になると考えられる。
 貯蔵穴はすべて床面の平面形が基本的に円形のもので、規模は床面径が〇・七~一・一メートルの小形のものと、径一・四~一・七メートルの中形のものとがある。断面形態は床面よりもやや上方に最大径部がある、いわゆる袋状のものが多いが、小形のものでは断面三角形になる傾向にある。しかし、ともに地表面(入り口)近くでは径が小さくなる。2号貯蔵穴(第31図1)は調査区中央よりやや東に位置する。平面形態・断面形態ともに、当地域の前期後半から中期前半にかけて最も一般的なタイプの貯蔵穴である。床面はややくぼみがちであるが、ほぼ平坦面に近く、長径一・四七メートル、短径一・三七メートルである。断面形態は入口部に比べて下部が膨らむ袋状をなし、床面から〇・四~〇・五メートルの高さまで垂直に近く立ち上がる。それより上部の壁面は急激に内傾し、上部の検出面では径〇・七メートル前後まで狭まっている。遺構内から出土した壺・甕からみて、2号貯蔵穴は前期前半に属する。5号貯蔵穴(第31図2)は調査区中央よりやや東側に位置する。床面の平面形態はややいびつであるが、基本的に円形をなし、長径〇・八八メートル、短径〇・七八メートルと小形である。残存している壁面は床面から内傾しながら立ち上がり、断面は三角形で袋状をなさない。出土した甕の形態から、5号貯蔵穴は中期前半の遺構である。13号貯蔵穴(第31図3)は調査区中央の北側に位置する。床面は平坦で円形をなし、長径一・二七メートル、短径一・二五メートルである。壁の最大径部は床面から約〇・三メートルの高さにあり、径一・七一メートルを計る。検出面での径は一・三メートル前後である。

第31図 神手遺跡貯蔵穴実測図

 前期後半から中期前半にかけてのそのほかの遺構としては、円形竪穴住居跡や貯蔵穴群を囲むようにめぐらされた溝状遺構がある。2号溝状遺構は調査区北東部で、南北に走る断面「V」字形の溝状遺構である。検出した長さは三・四メートル、幅〇・五メートル、深さ〇・五メートルであるが、南北両方向に更に延びる。4号溝状遺構は調査区南端部で検出され、南方へ弧を描きながら、調査区外の北西方向と北東方向に延びている。確認された長さは二〇メートル、幅一メートル、深さ〇・六メートルを計る。2号・4号の溝状遺構は、幅・深さおよび断面形態が類似することから一連の溝状遺構と考えられる。
 次に、後期後半に属する住居跡と埋葬施設について詳述する。6号竪穴住居跡(第32図)は調査区北東隅に位置する。床面の規模は、長さ七・二メートル、幅五・四メートルとやや大形で、平面形態が長方形をなす。床面中央部には炉跡があり、炉跡の長軸方向の両側には一対の主柱穴がある。また、南東側長辺中央部に接して屋内土壙があり、北東・南西・南東各辺の一部にはベッド状遺構が設けられている。6号竪穴住居跡は、出土した甕・二重口縁壺・碗形土器(第33図)から、後期後半から終末期の時期が考えられている。

第32図 神手遺跡6号竪穴住居跡実測図


第33図 神手遺跡6号竪穴住居跡出土遺物実測図

 1号石棺墓(第34図1)は調査区南西部に位置するが、盗掘などにより棺材は大部分抜き取られていた。棺内の長さ一・七五メートル、幅〇・四五メートル、深さ〇・一二メートルを計る。残存した西半部の蓋石は、片岩系であった。床面には粘土を張り、鉄器などが出土している。8号土壙墓(第34図2)は調査区南部で、9号土壙墓と並行して設置されている。床面は長さ一・九七メートル、幅〇・三七メートルで、墓壙の深さは〇・三一メートルである。長辺の両側壁で粘土が帯状に検出されたことから、割竹形木棺の可能性が考えられている。床面からは赤色顔料と鉄製品が発見された。

第34図 神手遺跡 1. 1号石棺墓


第34図 神手遺跡 2. 8号土壙墓実測図