各遺構のうち、ここでは8号石棺墓と2号石蓋土壙墓についてのみ詳細に述べる。8号石棺墓(第36図1)は、調査区南部で丘陵本体が東方から北方へと屈曲する部分の頂上平坦面に位置し、標高は八八・七〇メートル前後である。当石棺墓の墓壙は、長さ二・四八メートル、幅一・三四メートルの長楕円形の平面形をなし、深さは〇・七二メートルである。石棺は右側壁が四枚、左側壁が五枚の立石をやや内傾させて並べ、頭位・足位の小口石は両側壁に挟まれる。蓋石は四枚のやや大形の花崗岩の板石を並べ、足位のすき間を小形の石で埋めている。また、側壁や蓋石のすき間には粘土で目張りを施し、床面には赤色顔料を散布する。棺内の規模は長さ一・七〇メートル、幅〇・三二メートル、深さ〇・四七メートルである。主軸の方位はS-63°-Wである。遺物は棺内の右足脛部の付近から鉄鏃二本が出土している。
2号石蓋土壙墓(第36図2)は、8号石棺墓の西側約六メートルに位置し、標高は八九・〇メートルである。墓壙は二段掘りで、まず長さ二・三メートル前後、幅一・四〇メートルの長楕円形で、深さ〇・二六メートル以上の壙を掘り、その中央部に棺を掘り込んでいる。棺は頭位小口に一枚石を立て、足位側の壁は傾斜をつけている。床面は長さが一・二一メートルで、幅は〇・二五メートルと非常に狭い。蓋石は五枚の板石からなり、すき間は小形の石材でふさいでいる。主軸の方位はS-79°-Wである。
これらの埋葬施設のうち、調査区南部の丘陵屈曲部に位置する石棺墓二基・石蓋土壙墓四基・土壙墓一基の一群を区画するように、南西と南東の一部で、直交すると推定される溝が検出された(第35図参照)。これは全体として方形周溝墓をなすものと考えられるが、規模は不明である。
第36図 北垣遺跡弥生時代埋葬施設発掘状況
1. 8号石棺墓
2. 2号石蓋土壙墓