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遺跡の性格

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当遺跡で確認された弥生時代の墓地は中期と後期に属するものである。後期の墓地は徳永川の上遺跡でも発見されているが、その内容はやや異なるものである。徳永川の上遺跡の場合、墓地は一〇基以上の墳丘墓からなり、それぞれの墳丘墓内に五~一三基の埋葬施設が営まれていた。また、中心的な埋葬施設には銅鏡・装身具・鉄製品などが豊富に副葬されていた。しかし、北垣遺跡の場合、南部で方形周溝墓が一基検出されたが、全体としては集団墓の傾向を示し、副葬品も若干の鉄製品と玉類が一部にみられるにとどまった。これらのことから、当遺跡に葬られた人々は節丸地域の一集落の代表者程度のものであろう。