当遺跡は下原集落西方の祓川右岸段丘上にある。祓川河川敷より約七メートル高く、東側の段丘上面からは一〇メートル程度低くなっている。昭和五十五年一月にこの一帯の圃場(ほじょう)整備に伴い、水田の耕作土下から発見された遺跡である。東西約五〇メートル、南北約二〇〇メートルにわたって住居跡や貯蔵穴・掘立柱建物と思われる円形や不整形の黒色土が観察され、中に遺物を包含していた。遺物は甑(こしき)などの弥生土器片のほかに須恵器片・土師器片があり、土錘・石庖丁・紡錘車なども出土している。遺跡の規模と遺物からみて、当遺跡は弥生時代中期・後期ごろから大規模な集落が発達し、古墳時代においても継続して営まれた集落跡と考えられる。