第45図 築城町十双遺跡配置図
(北西部のみ、縮尺1/800)
この時期の代表的墓地である大平村穴ケ葉山遺跡は、山国川西岸の標高約七〇メートルの小高い丘陵上にあり、石蓋土壙墓八六基・土壙墓二基が密集して発見された(第46図)。地形の状況からみて、一〇〇基を大幅に超える埋葬施設が営まれていたと推定される。この墓地の特徴は大部分が石蓋土壙墓であり、内部にベンガラが使用されていることと、約八割程度の埋葬施設では地山削り出しの枕が設けられていることである。また、四割以上の石蓋土壙墓には、銅鏡片や鉄製の剣・素環刀・槍先・鏃などの武器と鋤先・鉇(やりがんな)・刀子などの農・工具があり、硬玉製勾玉・碧玉製管玉・ガラス小玉・水晶製切子(きりこ)玉などの玉類も副葬されていた。徳永川ノ上遺跡は、終末期から古墳時代初頭の墳丘墓一〇基以上の存在が確実視されているが、墳丘墓という埋葬形態や銅鏡六面に代表される副葬品の内容からみて特定集団の墓地と考えられる。また、この時期には方形周溝墓が当地域でも築造され、下稗田遺跡・竹並遺跡・北垣遺跡などで調査されている。
第46図 大平村穴ケ葉山遺跡配置図