前期前葉では、北部九州で、広く板付I式土器が出土している。中葉から後葉になると、京築地域ではしだいに地域性が顕著になってくる。壺の文様に、それまでの羽状文に加えて綾杉文や円弧文・木葉文が施されるようになる(第53図参照)。また、施文工具として、ヘラ状工具以外にもアカガイなどの鋸歯状の縁辺部を持つ二枚貝が盛んに使用されるようになる。この二枚貝による施文は、山口県西部の響灘から北東九州の周防灘沿岸地域に共通してみられる手法であり、遠賀川以西の北部九州とは別の文化圏を設定する一つの材料となっている。また、木葉文土器は、下稗田遺跡・竹並遺跡・中桑野遺跡・犀川町大熊遺跡などで発見されているが、木葉文は大阪府鬼塚遺跡・兵庫県田能(たのう)遺跡・山口県綾羅木郷(あやらぎごう)遺跡など広く瀬戸内海沿岸部や近畿地方の壺に施される文様である。
第53図 前期後葉の土器文様
中期になると、ごく一部で壺に文様を施すものが残るが、文様帯をつけない北部九州の広い文化圏のなかに包み込まれてしまう。特に、中葉では遠賀川以西の須玖式土器の文化圏の強い影響下に入る。
後期になると、土器は西日本の広い範囲で比較的画一化されてくる。当地域でも中葉には高坏が瀬戸内系になるほか、後葉以後壺や甕の底部が丸底化し始め、当地域の独自性はほとんどみられなくなる。