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大和政権の誕生

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弥生時代後期後半の三世紀に、畿内では奈良県桜井市に纒向(まきむく)遺跡が営まれる。この遺跡は、一キロメートル以上の範囲に達する巨大な集落であり、その内部には矢板で補強した運河や、整然と配置された掘立柱建物跡があり、瀬戸内西部から南関東に及ぶ地域から搬入された土器が大量に発見されている。このようなことから、この遺跡は「初期大和政権の最初の都宮」であるとする説も出されている。ただし、大和政権は先の近藤氏の見解にみられるとおり、各地の首長が大和を中心とした連合に参加することによって初めて誕生したものである。このため、大和政権の誕生をもって古墳時代の始まりを考えるならば、畿内の初期の前方後円墳について一考する必要がある。纒向遺跡内で、先の四つの特徴を併せ持つ最古の前方後円墳は、箸墓(はしばか)古墳(第1図参照)である。この古墳は三世紀末に築造されており、墳丘の規模はこの時期の古墳では最大の全長二七六メートルを計る。この古墳の被葬者または築造者が、畿内を代表する豪族の一つであったことは確実であり、この古墳の築造時期に、畿内の豪族と西日本の幾つかの豪族の間で連合が成立したものと考えられる。つまり、三世紀末の段階で連合政権の色彩が強い大和政権が、畿内に誕生したのである。しかし、箸墓古墳に先行する最古型式の前方後円墳は、今後新たに発見される可能性もあり、成立時期については若干さかのぼることも予想される。

第1図 奈良県箸墓古墳測量図