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後期の古墳

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この時期の前半には前方後円墳がまだ盛んに築造される。奈良県橿原(かしはら)市見瀬(みせ)丸山古墳(全長三一八メートル)・大阪府高槻(たかつき)市今城塚(いましろづか)古墳(継体陵、全長一九〇メートル)などの前方後円墳があるが、総じて中期に比べ小型化している。一方、有力豪族の支配下にあったいわゆる家父長層も力をつけ、五世紀後半以降、中小の古墳を築造するようになる。この中小の古墳は密集して造られていることから、群集墳と呼ばれている。
 古墳の内部主体は、竪穴式石室に代わり複数の埋葬が可能な横穴式石室へと変わる。大型の古墳の玄室内には家形石棺が安置される場合が多い。
 副葬品のうち、大刀は単龍・双龍などの環頭大刀や頭椎(かぶつち)大刀・圭頭(けいとう)大刀のような装飾化が進む。馬具は六世紀前半には五世紀代の金銅製鞍(くら)金具や杏葉(ぎょうよう)などの飾り金具がつくものに代わって、素環鏡板(かがみいた)付轡(くつわ)と木製の鞍に、木製壺鐙(あぶみ)という簡素の装備になる。装身具では五世紀後半に出現した冠や垂飾付き耳飾り・飾履(かざりぐつ)が変化を遂げながら使用されている。更に、供献土器として須恵器が多量に副葬されるのもこの時期である。奈良県斑鳩(いかるが)町藤ノ木古墳は六世紀後半の円墳であるが、横穴式石室内部の家形石棺からは、二体の成人男性とともに豪華な副葬品が発見された(第5図)。その内容は、環状乳画文帯神獣鏡一面・神獣鏡二面・獣帯鏡一面と大刀五振り・剣一振りなどである。また、被葬者は頭に一万個以上のガラス小玉で作った帽子をかぶり、ガラス玉を連ねた玉簾(たますだれ)状の装束をまとい、鍍(と)金銀製空玉(うつろだま)などの金属製首飾りや鍍金銀製耳環・銀製垂飾髪飾りなどで飾られ、金銅製履をはいていた。更に、足元には金銅製冠や銅製大帯が置かれていた。

第5図 奈良県藤ノ木古墳遺物出土状況