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塩の生産

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吉備のもう一つの特産品である塩は、弥生時代中期に生産が開始され、製塩遺跡は児島半島周辺の海浜部に立地していた。古墳時代に入ると遺跡の数は増加するが、小規模なものが多く、まだ専業化していなかったと考えられている。しかし、六世紀後半になると香川県直島町喜兵衛島(きへえじま)や岡山県倉敷市阿津走出遺跡のように、使用済みの製塩土器が厚さ一メートル以上に堆積し、「土器層」を形成するまでに至った。これは製鉄と同様に、専業集団が成立したことを示すとされている(第7図)。
 製鉄・製塩ともに専業化された当初は吉備勢力がその実権を握っていたものと考えられる。しかし、その後七世紀にかけて中央集権化が進み、屯倉(みやけ)の設置による大和政権の直接支配が浸透するにつれて、その生産と流通は吉備の豪族の手から離れていった。


第7図 古墳時代における中国地方の鉄・塩生産遺跡分布図