ビューア該当ページ

〔豊津の古墳〕

255 ~ 256 / 1391ページ
 古墳時代の墓として、豊津町内には前方後円墳・方墳・円墳などがあり、ほかに横穴墓も分布する。前方後円墳は惣社古墳、方墳は甲塚方墳が各一基ずつ確認されている。円墳は、節丸地区の祓川両側の丘陵部に最大の古墳群があり、八景山南麓から甲塚周辺や、綾野から徳永の祓川東岸段丘上やその後方の台地に集中して分布する。その数は現在一二〇基余りであるが、未確認のものも多く、少なくとも一五〇基以上が存在すると推定される。また、横穴墓は北西部の彦徳(けんどく)から高崎地区に密集し、北東部の徳永地区にも分布するが、その数は合計数百基に達すると推定されている。
 これらの古墳の築造時期は、徳永川の上遺跡で弥生時代終末から古墳時代初期の墳墓が発見されているが、明確な墳丘や石室を持つ古墳では柱松古墳群が最も古く四世紀後半にさかのぼる。続く五世紀代では、北垣古墳群で終末期のものがあり、同時期か若干古い古墳は節丸地区や八景山周辺にも分布が予想される。六世紀代になると、各地域の家父長層も直径五~一五メートルの古墳を造るようになる。この時期の首長層の墓は甲塚地区に彦徳甲塚古墳(円墳)や甲塚方墳(方墳)などが営まれている。長さ二〇~四五メートルの墳丘を持つ円墳や方墳である。