柱松古墳群は、八景山の南東約五〇〇メートルで、長養池の東側丘陵上に点在した古墳群である。この丘陵は北方へしだいに低くなり、当古墳群付近で標高三九メートル前後を計る。所在地の住所は大字惣社字柱松である。
柱松の丘陵地一帯は昭和四十二年ごろ宅地造成が始まり、当古墳群を構成した五基の円墳はすべて破壊された。3号墳は造成中の観察により内部主体が粘土槨と考えられ、4号墳は昭和四十一年七月に行われた調査の結果、墳丘内部から粘土塊が検出され、同様に粘土槨であることが推定されている。
調査は福岡県教育委員会によって実施されたが、既に大部分の古墳が破壊されてしまっており、1号墳の主体部のみが調査されるにとどまった。