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遺跡の性格

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発掘調査報告書では、1号墳は「豊津地区としては、その内部主体、副葬品の状況から、四世紀後半頃の司祭を兼ねた地域集団の首長クラスの墳墓であり、惣社古墳群が、その一族に属するものであったとも考えられる。」とされている。当古墳は町内で最も古い時期に属する古墳であり、数少ない前期古墳である。また、墳丘の規模が直径二八メートルあることから被葬者は首長層であることは確実である。更に、内部主体が苅田町石塚山古墳のような竪穴式石室ではなく箱式石棺であることから、被葬者は在地的な性格が強い首長であったと考えられる。